混浴のマチュピチュ温泉 京王高尾山口とビジネスモデルが酷似
ぽかぽか。どうも!TSUKARUです!
毎日銭湯健康生活ということで、相変わらずやっておりますけども。
今日はアグアスカリエンテス駅から、徒歩15分くらいのところにあります、マチュピチュ温泉さんに、お邪魔してマース!
このマチュピチュ温泉さん、最寄り駅の名前がアグアスカリエンテスなんですけど、アグアスは水、カリエンテスは熱いという意味のスペイン語で、直訳すると熱い水という駅名なだけに温泉もでているんですねー。
ただ、海外の温泉なので、くれぐれも裸で入らないように注意しましょう。
水着は、各自のものを使用しますが、温泉の目の前の水着レンタル所で水着とタオル、それぞれ30ソルで借りることもできますよー!
エントランスはこんな感じ
雨季のマチュピチュなので大雨です。
マチュピチュ見学で疲れたからだを癒しに早速行ってみたいと思いマース!
オス!
さーあはじまりました!マチュピチュ温泉さん、食券制です!
入り口にあるチケットオフィスで大人1名をチョイスーーー!
70ソルですね。
チケットを受けとると、雨のなか温泉まで300メートルほどの道をススム、ススム、ススムゥー!
温泉入り口につくと、着替えや貴重品、などを預かってくれるロッカーもあります!もちろん無料でとっても親切!
ロッカーを通過し、個室の刑務所のような若干汚い更衣室で着替えると、その着替えをもって再びロッカーへ。
ロッカーに荷物を預け、海パン1まいとタオル1枚をもって、いざ温泉へバモース!!!
オス!(温泉到着)
温泉内は、さながら暖かいプールといった感じで、たくさんの観光客でごった返しているー!
みんな水着を着ているので写真撮影はOKらしいが、若干気が引ける。
だが、ブロガーとしてマチュピチュい温泉の様子を皆様にお伝えすべく、控えめに撮影!
まずは奥にあるシャワーで身体を流すが、世界各国からお客さんが来るため、文化の違いからかそのまま入るお客さんが多かったー!
湘南のビーチよろしく、カップルでいちゃいちゃする外国人や、温泉に全く似合わないイカツイ黒人、マチュピチュ温泉の長老かと見間違うようなインディヘナ系のおじいちゃんおばあちゃん、など多種多様な人種で溢れていたー!
そのなかでもTSUKARUは温泉マナーの良いアジア人代表として、身体をキレイにしてから静かにお湯に浸かるのだった。
お湯の温度は37から39度くらいと少しぬるく、雨の降りしきる寒い外では、なかなか体が暖まらなかった。
また、温泉の下は、コンクリートやタイルではなく、大きめの丸い石が敷き詰められており、歩くとなんだか足の裏が変な感触がする。
深さはだいたい1.2メートルくらいのところと、ちいさいキッズ用プールがいくつかある。
温泉だから硫黄の匂いがするかと思えば、なんとメロンのような匂いがするのだ。
これは不思議。
ビーチサイドならぬ、温泉サイドでは、カクテルやビールなどのお酒も注文することができ、ほんの一部の観光客が、温泉でカクテルを楽しんでいた。
TSUKARUは温泉でカクテルは飲まなかったぞー。
30分ほどでお湯からあがり、着替えてとても満足に浸かれました。
南米旅行では、高級ホテルにでも泊まらない限り、なかなかお湯に浸かることができないので、貴重な体験となりました!
今日も気持ち良く浸かることができました!
オス!(帰宅)
TSUKARUはこのあと、屋台のおばちゃんから牛肉とジャガイモを焼いた串を買い、ビールと共にゲストハウスの部屋で頬張るのだった。
マチュピチュ温泉さん、高尾山のごとく大量の登山客が訪れるこの街で、登山した客の疲れを癒す温泉まで備えるビジネスモデルなんて、まるで京王高尾山口の温泉と同じじゃないかー!
近くにバスタオルと水着を貸すお店もあって、手ぶらで行けるからとっても便利!
ペルーではせっかちな国民性からか、滞在中ずっとあちこちでクラクションの音を聞き続けているなか、都会の喧騒を離れ、静かなマチュピチュ村で健康ランドのようなひとときを過ごさせて頂きました。
マチュピチュ村は日本の温泉街のような町並みで、熊本県の黒川温泉にとても似ている。
マチュピチュへ行かれた際は、ぜひお立ち寄りくださいませ!
おわり!
マチュピチュ 快晴の世界遺産
天気予報とは裏腹に、快晴のマチュピチュをゆっくり見学することが出来た。
ただ、チケットの購入が複雑で、当日の朝にマチュピチュ村のチケットオフィスで購入することになってしまった。
この日は、朝五時に目が覚め、前日の雨が嘘のように晴れていた。
マチュピチュの入場は公式サイトからの予約が必要だ。
また、日本で調べた際、いくつかのサイトでガイドをつけることが必須と書かれていたが、その心配もなかった。
マチュピチュ入場について
チケットは事前購入が出来る。
ワイナピチュに登るには事前購入が必須らしい。
このサイトから、
http://www.machupicchu.gob.pe/
チケットの種類(マチュピチュだけ、ワイナピチュ、マチュピチュ山登山)
日付
を選択して予約する。
予約すると8時間?以内くらいで支払いを済ませないと有効期限が切れてしまう。
予約が完了すると、その控えの番号を元に支払いをする。
VISAカードしか使えないのが玉に傷だが。
学割について
学割があるとの情報があるが、ネット予約、ネット支払いだと学割はきかない。
マチュピチュ村のチケット販売所でも学割は使えないと大きく書かれている。
クスコの文化庁で学割がきくチケットが買えるらしいが、詳細はわからない。
朝七時半
前日の疲れをまだ残したまま、ホステルを出発する。
朝食はホテルでパンとスクランブルエッグが出た。
ホテルの人に、事前に予約したマチュピチュ入場券のEチケットを見せて入場出来るか確認すると、最高の笑顔で「これで大丈夫さ!」と言われて安心していた。
マチュピチュ村からマチュピチュ遺跡までは一時間ほどで歩いて登ることも出来る。これを発見者の名前にちなんでハイラムビンガムロードというらしい。
しかし我々は前日の雨で歩き疲れていたので、バスを選択。
マチュピチュ村は小さい街なのでバス乗り場はすぐわかると思うが、村の入り口の方に小さなバスチケット販売所がある。
往復で24ドル
ドル払いも出来るしソル払いも出来る。
ソルだと77.832ソルだった。
チケットを購入し、バスに乗ろうとすると、バスの係員がマチュピチュ入場券を提示するよう指示。
Eチケットを見せるとこれでは駄目とのこと。
紙で印刷しなくてはいけないらしい。
仕方ないので急いですぐ近くにあるチケットオフィスに行き、Eチケットを印刷するよう頼みに行く。
すると、予約して支払いまで完了していたと思っていたチケットが実は支払いに失敗していたらしい。
何が原因かわからなかったが、とりあえず支払いが出来ていないらしいので仕方なくその場で現金でチケットを購入した。
当日の朝チケットサイトを見たときはマチュピチュ入場券が残り800枚ほどだった。
最大で2300人ほど入場出来るのでまだあまりはあるほうだった。
しかし、ワイナピチュはこの日の分はもう売り切れだった。
翌日の分もワイナピチュはないらしい。
やはり、だいぶ前から購入しておかないと400人しか入場できないワイナピチュは厳しいようだ。
とりあえず152ソルでマチュピチュの入場券は購入出来た。5300円くらいだ。
それを提示してマチュピチュ行きのバスに乗る。
急な坂道をくねくねしながら登ること30分。遺跡に到着。
バスからチラッと見える遺跡に胸が高まる。
やはり日本人に人気のマチュピチュだけあって、バスのなかでも降りてからも日本語がちらほら聞こえる。
この日の予報は雷雨。
しかし実際は日焼け止めを何度も塗り直さなくてはいけないほどの快晴だった。
クスコに比べ標高も低いので、日焼けが気にならないのであれば半袖半ズボンでもいいほどの暑さだが、日焼け防止のため長袖長ズボンがいいだろう。
遺跡入り口にはトイレがある。
遺跡のなかにはないので先に済ませるといい。
トレッキングシューズで来る欧米人もいるし、日本の旅行会社で団体で来ているシニア世代の日本人も多くいた。
遺跡入り口ではパスポートと入場券をチェックされる。
遺跡を傷つけるため、山登りに使うステッキや、大きすぎるリュックサックなどは持ち込めない。
筆者もわざわざクスコから担いできた三脚を入り口で預けさせられてしまった。3ソルだった。
遺跡のなかは思ったより広く、全て回りきるのに四時間ほどかかる。
マチュピチュ山に登るのには他のチケットが必要で、遺跡の途中にあるチケットをチェックするところで提示しないと進めないようになっている。
ワイナピチュも同様だ。
遺跡入り口で、英語やスペイン語でガイドが付けられるので、遺跡内で説明している人をたくさん見かける。
日本人バックパッカーの場合はほぼ100%地球の歩き方を持っているので、その説明を読めば十分理解できる。
遺跡に入場してすぐに姿を表す都市全景は、圧巻だ。
ここまで辿り着くのが難しい場所に、よくこんなに大きな都市を築いたなと感心させられる。
眼下に広がる崖と、茶色く濁った濁流、精巧に作られた段々畑や石組の完全な保存状態。
全てが異世界である。
遺跡内は広く、アップダウンも激しいため、休み休み見学しないと疲れてしまう。
敵が来たら落とすための丸太の橋
この高地で何故か流れ続ける水
見学を終えて、忘れず三脚を返却してもらい、遺跡入り口にあるレストランで昼御飯を食べた。
レストランは遺跡入り口に二つあり、観光地としてかなり完成されていることが伺える。
お土産はクスコやマチュピチュ村でも買えるが、遺跡入り口にあるお土産売り場はとても質が高い。
Tシャツ1枚2000円ほどするので大量にお土産にかうならし下で買った方がお得だ。
遺跡からマチュピチュ村までもバスで戻ると、二時くらいから大雨が降り始めた。
ちょうど登ったときだけ晴れていたのは運が良かったとしか言いようがない。
大自然の高尾山 マチュピチュ村へ
旧水力発電所を出発してからマチュピチュ村に到着するまでほぼ休憩なしでちょうど三時間だった。
旧水力発電所に到着した時、旅の相方井口が37.5の熱が出ていた。
これから歩くのでかなり心配だったが、後戻りも出来ず、本人も問題ないと話しているので進むことに。
雷雨の予報と反して、ここは雲ひとつない晴天に恵まれた。
朝は活躍したウルトラライドダウンもコンパクトにまとまりリュックの中へ。
半袖半ズボンでもいいくらい暑く、日焼け止めをぬったが、刺すような日差しが肌を痛めつける。
登山で行方不明になることを防止するのか、入り口には入山する人の名前を書くところがあった。
国籍や年齢、パスポート番号などを記すが、特に入山料などを支払う必要はない。
名簿に名前を書くので他の人の国籍をちらっと見ることが出来る。
チリ人が多い。
チリ人はスペイン系の白人が多いので、ツアー全体が白人が多いように感じる。
地元ペルー人や、ブラジル人も見かけた。
スタンドバイミールートは近隣の国々から来ている人が多かった。
歩き始めてすぐ、ペルーレイルの駅、Hydroelectric駅を通過。
青いキレイな車両を横目にリュックを背負って歩みを進める。
実際に来てみるまで、スタンドバイミールートは冒険心ガチガチの登山勢がトレッキングシューズを履いて装備をきちんと用意して登るものだと思っていた。
しかし、現実は大自然の高尾山だった。
クスコからここに到着したバスは何も我々だけではない。
様々なツアー会社がこぞってバスと提携し、多くの観光客をここに送り込んでいる。
屈強な男ももちろんいたが、驚かされたのはカップル率の多さだ。
単線のレールの上を手を繋いで、しかも人によってはビーチサンダルで歩いているではないか。
入り口でごった返す人、人、人。
広大な大自然の中にちっぽけな人間が入り込む。
そんな姿を想像していたが、近隣諸国の人にとっては都民が高尾山に登るくらい手軽なものかも知れないと思わされた。
また、あまりに多くの観光客がここを通っているのを物語るのが、三時間の道のりの途中に存在する休憩ポイントやレストランの数だ。
線路を歩いて登る人以外は誰も来ないような場所にレストランがある。
水力発電所からマチュピチュ村までもずっと線路の上を歩くので、道を間違えようがない。
有名な撮影スポットの橋
途中、けたたましい轟音の汽笛を鳴らして通過する青いペルーレイルの車両は、このコースの見所のひとつだ。
マチュピチュの辺りは、アマゾン地帯との境目にあるらしく、歩き始めて一時間半を過ぎた辺りから、アマゾンの熱帯の中を歩いているような景色に変わってくる。
予報通り最後の一時間は大雨に打たれ、ポンチョを来て歩く。雨のせいで視界も悪く体感温度もぐっと下がるなか、最後2つのトンネルをくぐるとようやく見えてきたマチュピチュ村には幾ばくかの感動を覚えた。
三時間のトレッキングを経て、大雨の中着いたマチュピチュ村で、予約していた宿に入る。
Supertramp Hostelというゲストハウスだ。
登山の疲れから、宿に19:00くらいに着き、雨なので街歩きする気にもなれず、そのまま寝てしまった。
スタンドバイミールートは、快適さや時間でペルーレイルに劣る。
だが、多くの旅行者が使っている一般的なルートであり、危険と感じるようなことはない。
時間のある人には是非チャレンジしてほしい。
Lucky Peru Tourでマチュピチュのスタンドバイミールートに挑戦
クスコからマチュピチュはかなり遠い。
1911年、ハイラムビンガムがその存在を発見するまで、制服者スペイン人にすら見つからなかった謎多き天空都市であり、そうそう簡単にはたどり着けないのだ。
クスコは標高3300m
マチュピチュはそれよりかなり低い2400mほどのところにあり、クスコで高山病にかかった人も、2000m代まで降りれば良くなるそうだ。
クスコからマチュピチュへの一般的なルートは、クスコからオリャンタイタンボまでバスで一時間半ほどバスで移動し、オリャンタイタンボからマチュピチュ村まで一時間半の列車を使うルートだ。
地球の歩き方にはこれしか行き方が乗っていないが、マチュピチュへはもうひとつ、歩いていくというクレイジーなルートがある。
それが俗に言うスタンドバイミールートと呼ばれるものだが、クスコから旧水力発電所までバスで六時間移動し、その後マチュピチュ村まで線路の上を三時間ひたすら歩くルートだ。
ペルーレイルという列車に乗ってしまえば快適かつ短時間でたどり着けるのだが、ペルーレイルの料金がとても高い。
オリャンタイタンボからマチュピチュ村(アグアスカリエンテス駅)まで片道1万円近くするのだ。
マチュピチュ入場に際しても7000円近い金額が必要になるため、この出費は痛い。
スタンドバイミールートだと、旧水力発電所までの乗り合いバスの往復チケットだけで、2000円の安さである。
日本語で調べられる情報には限りがあり、確実に旧水力発電所までのバスがあるのか、ツアー会社はすぐ見つかるかなど、不安はとても大きかった。
また、マチュピチュの天気予報が雷雨ということもあり、三時間歩けるのか、やはりお金を払ってでも安全なペルーレイルを選択すべきではないかなど、なかなか判断に苦しんだ。
数少ない日本人ブロガーの残した情報の中から、今回選択したのはLucky Peru Tourという会社だ。
結論から言うと、マチュピチュ観光、またクスコ周辺のインカ時代の遺跡ツアーなどすべてここに任せたが、問題なく行ってくることが出来た。
Lucky Peru Tourはアルマス広場のマクドナルドの坂を上がっていった5件目くらいの右側にある。
観光地だけあって店員はみな英語が使えたのでツアーの申し込みも簡単に済ませることができた。
バスで旧水力発電所まで行きたいとの旨を伝えると、片道なら40ソル(1280円くらい)、往復で60ソル(2000円くらい)だと教えてくれた。
しかも、アルマス広場前のマクドナルドに集合ではなく、各ホテルの前まで迎えに来てくれるというから親切だ。
この日、マチュピチュのツアー申し込みと、もうひとつ、インカの聖なる谷ツアーに申し込んだ。
こちらについてはまた別の記事で詳しく触れることにする。
Lucy Peru Tourで一通りツアーを申し込み、スタンドバイミーコースへの挑戦が確定したことで、出発前から抱いていた不安は解消された。
今後、スタンドバイミーコースに挑戦する日本人のためにも、クスコの情報をいくつか提供したい。
中心部のアルマス広場周辺には、Lucky Peru Tourだけでなく星の数ほどの旅行会社がマチュピチュ行きのツアーを扱っている。
通りを歩いていると、
「トモダチ!!マチュピチュ!??」
「アミーゴ!!マチュピチュ!!?」
と、がんがん営業されるほどだ。
アジア人の我々を見るなりトモダチと呼ぶ辺り、今までに多くの日本人がここを訪れたことを感じさせる。
また、スタンドバイミールートを取る際に懸念されるのが、大きいバックパックをどうするかという問題だ。
総重量18kgはあるバックパックを背負い、三時間の道のりを歩くのはかなりつらい。
クスコに来るまではクスコの宿にバックパックを置かせてもらい、デイパックで出掛けるつもりだったが、それだと泊まらない宿にお金を払うことになるかもしれないと心配だった。
あくまでLucky Peru Tourの場合だが、マチュピチュに行って、帰ってくる2泊3日の間、事業所でバックパックを預かってくれるとのことだっとので、最低限の荷物をデイパックに入れ、預かってもらうことにした。
また、先の記事でも書いた通り、クスコの治安にも詳しく、危険な地域を地図で指差して教えてくれるなど、とても丁寧な対応をしてもらった。
いざ出発
クスコの夜景に感動した翌朝、8:00にゲストハウス前に迎えに来ると言われていたが、さすがペルビアンタイム、25分遅れて乗り合いバスのベンツが到着した。
この日の朝はとても寒く、いよいよユニクロのウルトラライドダウンが活躍するときが来た。
乗り合いバスで小雨の降るクスコの街を9時頃に出発、六時間悪路を揺られながら15:00に旧水力発電所に到着した。
この記事を書いている時点で2/22だが、2/21の未明、ペルー南部のアレキパで山道を走っていた2階建てバスがカーブを曲がりきれずに崖から200m転落、乗客44人が死亡したとのニュースが入っていた。
その一ヶ月前にもリマで荒い運転が原因で52人が死亡する事件が発生している。
ペルー滞在中ずっと感じていることだが、この国のドライバーはあまりにせっかちだ。
ペルー=クラクションのイメージが付きそうなくらいとにかくクラクションを鳴らしまくる。
この国におそらく車間距離という言葉は無いし、砂ぼこり立つ荒野を毎日走るので車は泥だらけだ。
クスコの街を抜け、山道をひたすら下ると、切り立つ崖の中、バスが一台やっと通れるほどの悪路のなかを何回もいろは坂方式でターンしながら進んでいった。
ドライバーは何を生き急いでいるのか、カーブに差し掛かっても十分にスピードを落とす気配はなく、ましてや舗装されていない崖の道を華麗なハンドルさばきで抜けていくのだった。
写真で伝えきれないのが悲しい
標高が下がるので、時間が立つにつれて気温も上がる。
バスの中も熱気で満たされ、悪路を揺られながら走るためかなり気持ち悪くなるのだ。
隣の欧米人の女の子は気分を悪くして戻してしまっていた。
スタンドバイミーコースは、アジア人に対して情報が少ないのか、もしくは欧米人に対して情報が充実しているのか、バスツアー参加者は我々以外ほぼ全員欧米人だった。
バスに揺られて6時間、いよいよ限界というところで旧水力発電所に到着。
なにか街や村があるわけでもなく、ただバスが停まれる広場が大自然のなかにあるだけだった。
ここにはトイレと小さなレストランがある。
我々はLucky Peru Tourを通して申し込んでいるが、他の旅行会社を通して申し込んだ人はここのレストランで使える昼食券を持っていた。
この後三時間も歩くので腹ごしらえは必須と思い、昼食券はいくらな訪ねると15ソル(510円くらい)とのこと。
ペルー料理のバイキング形式で、ここの料理は本当にうまかった。
大勝利である。
売店もあるので、水を買い、いよいよ15:30から登山を開始した。
統一された美しい街並み クスコ
クスコに到着して、翌日のマチュピチュへ行くツアーを予約。
クスコの夜景は本当に美しく街全体が世界遺産というのも納得だ。
クスコのバスターミナルからゲストハウスまでは、タクシーが迎えに来てくれていた。
今回宿泊したのはアルコパタゲストハウスという宿だ。
リマとは打って変わって標高の高いクスコは、昼間でも肌寒く、長袖長ズボンでちょうどいい。
ゲストハウスに着き、荷物をおろしてクスコの街に出る。
マチュピチュを擁することもあり、この街は観光客しか見かけないといっても良いほどだ。
クスコは全体的に坂が多く、あちこち歩くと標高が高いこともあり、すぐに息が切れる。
古い街並みを今に残し、アルマス広場周辺には大きな看板などは見かけない。
インカ帝国の時代に東西南北あちこちに張り巡らされたというインカ道や、剃刀の刃一枚通さないと言われる精巧な石組みは、この街の見所であり、誇りとしているものだろう。
有名な12角の石
インカ時代の人々は、複雑な形をした大きな石を巧みに組み合わせ、精巧な石組を築いた。
インカ道
街の中心部は石畳で作られた道を残している。
アスファルト舗装でないため、雨が降ると車がスリップして危なそうであるが、昔の景観を残しているのは素晴らしい。
昼ご飯兼夜ご飯は、アルマス広場近くのレストランで食べた。
はじめてのアルパカの肉である。
食べた感じは牛肉とほとんど同じだ。
獣なので、よく味覚を凝らすと若干の臭みがあるが、特に気にならない。
リマでしかめっ面のペルー人に多く会ってきたが、観光都市だけあってクスコのレストランでは営業スマイルを見ることができた。
異国で笑顔を見るだけでも旅人は癒やされるものだ。
食事の写真を撮っていると、店員がこの店の名前もSNSに載せて宣伝してくれと笑顔で言われたので、載せておく。
店内もきれいだし、店員も営業上手で良い店だった。
マスターカードも使える。
この日は、翌日のマチュピチュのためにラッキーペルーツアーという旅行会社でツアーを申し込んだ。
クスコからマチュピチュへの移動手段については、次の記事で改めて記したい。
ツアー会社の人に、クスコの街の中でも危険と言われる地域を聞き、夜19:00以降はなるべく坂の上の方にいかない方がいいとのこと。
地球の歩き方や、その他観光ガイドでも触れている通り、坂を上がると日本人宿があり、この辺りは夜になると若干治安がよくないらしい。
夕方、日がくれる前に坂の上の教会からクスコの街並みを眺む。
写真では伝わりきらないが、統一された街並みが本当に美しかった。
観光地だけあって、夜9時を過ぎても中心部は賑わっており、リマと比べると治安のよさが実感できた。
クルスデルスールの快適バス旅
リマからクスコへは、快適だと評判のクルスデルスールのバスを使って21時間の移動をした。
リマ→クスコの移動手段は空路と陸路の二つだ。
空路だと2か月前に調べた金額だが、およそ8000円で2時間のフライトで行ける。
陸路だとバスで21時間。価格は5000円ほど。
コストパフォーマンスを求めるなら断然空路だが、今回は今後の南米旅行でバス旅が多くなることから長時間のバス旅に慣れる意味も込めてバスを選択した。
リマの観光を終えると多くの旅行者はクスコへ向かう。
クスコは古代インカ帝国の中心であった場所であり、マチュピチュへ向かう際の拠点でもある。
ミラフローレスの宿からバスターミナルまで、タクシーで15ソルほど。
宿の人にタクシーを手配してもらった。
さすがに地元ドライバーにもよく知られているらしく、ドライバーは迷うことなくクルスデルスールのバスターミナルまで到着した。
乗客の多くが大きなバックパックを抱えた外国人旅行者で、地元民はあまり利用しないようだ。
チケットは事前にインターネットで予約できるため、出国前に日本で予約していた。
チケットオフィスで、Eチケットを見せるだけで良いと言われ、時間までターミナルの2階の待合室で待っていた。
ここには軽食も用意されていて、Wi-Fiも飛んでいるので早く着いたら寄ってみるのも良いだろう。
大きなバックパックは乗る前に無料で預けることが出来る。
荷物を預けていよいよ搭乗。
手荷物検査と身体検査を受け、座席に座ると係員がビデオカメラを持って乗客の顔を撮影しに来る。
怪しい客が乗っていないか確認しているようだ。
流石のセキュリティーだ。
乗客が全員乗ったようなので、バスは定刻の5分前に出発した。
座席は大きく、フットレストも付いており、飛行機のエコノミーよりもゆったりしている。
映画や音楽を楽しめるモニターと、ブランケットも付いている。
出発地リマの標高がおよそ150m
目的地クスコは3300mを越える。
空路だと急激に高度をあげてしまうため、高山病になるリスクが高まる。
陸路だとゆっくり高度をあげるため、体が順応しやすく高山病のリスクを減らすことが出来るというメリットもある。
せっかくの南米旅、高山病で何日も寝込んでしまっては楽しめないので、事前に日本で購入していた高山病予防の特効薬ダイアモックスを服薬。
筆者は観光の疲れから、バスに乗った時微熱があったが、快適な21時間のうち12時間以上ぐっすり寝て体を休めることができたため、バスを降りたら元気を取り戻していた。
バスの中は、1階と2階にそれぞれトイレがある。
また、Wi-Fiもあるとの記載があり、係員からもパスワードなしで繋げるとの案内をもらったが、結局最後までまったく繋がらなかった。
国際線飛行機の機内食には遠く及ばないが、バスのなかでも多少の軽食が出される。
プラスチックトレイにパンが置いてある簡素なものだが、食べ終わる時間を見計らって係員がゴミの回収に来てくれるあたり、好感をもてる。
バスはミラフローレスからペルーの海沿いのパンアメリカンハイウェイを通って南下する。
日本の3倍はある広大なペルーの景色を眺められるのも陸路の魅力のひとつだ。
途中何回か休憩をはさみながら、翌朝11:30にクスコの街に着いた。
チーノ! ペルー人との交流で人種のはなし
ミラフローレスのゲストハウスで国際交流
この日の晩御飯はゲストハウスのメンバーと一緒に食べた。
旅先での交流もゲストハウスに泊まるバックパッカースタイルの醍醐味だ。
天野博物館から戻り、体を休めてから夜6時半のミラフローレスへ意気揚々と出ていく。
観光客が多く訪れる場所だけあって、旧市街と比べると英語を話せる店員も多い。
ゴリマッチョ白人の後ろをちょこちょこついて回るアジア人の我々を見ると、チーノと呼ぶ人もいれば「コンニチワ!」と呼び掛けてくる人もいた。
時々、コリア?とも聞かれた。
南米の人にとっては、アジア人観光客の国籍を見定めるのは難しいのだろう。
一緒にペルー料理を食べたメンバーは、
スウェーデン人のゴリマッチョ、27才のルベーン
スイス人のスチュワーデス、24才のサラ
ゴリマッチョの友達のペルー人デザイナー、30才のルーベン(名前が似ている、、)
今日誕生日の色黒日本人、24才井口
金髪日本人ブログ筆者、22才の原内
ペルー人のことをペルービアンPeruvianというのをみんなの会話を聞いて恥ずかしながら初めて知った。
我々以外の他3人は皆、流暢な英語で会話を楽しんでいる。
全員英語のノンネイティブなはずなのに、英語での会話で置いていかれるのがなんとも歯がゆかった。
ヨーロッパ系言語を母語とする人にとって英語は話しやすいというのはあるのだろう。
それにしても、今回一緒だったメンバーは総じて賢かった。
話題も豊富でそれぞれの国の言語の特徴について話していたり、日本にも関心を持ってくれるなど新鮮な体験ができた。
この日の話で一番心に残ったのが、ペルー人がしてくれた人種の話だ。
ペルー料理を食べて2件目に行く際、別のペルー人から一緒に飲もうと声をかけられたのを断ると、我々を見て憂さ晴らしに、 指で目を細くしてチーノチーノ!と言われた。
今回の旅で中国人と言われるのには慣れていたが、明らかにアジア人差別の言動だったのが不快だった。
この体験をペルー人のルーベンに話すと、一生懸命かつ分かりやすい英語で答えてくれた。
彼は
「俺たちペルー人も、外国に行くと、この見た目とスペイン語でよくメキシコ人と間違えられる。アメリカに行くとなおさらだ。でも俺は彼らに悪気がないと知っているし、彼らにペルー人だと伝えるとちゃんと理解してくれる。ペルー人も同じで、アジア人を見ると何となく中国人だと思うけど、実際に話して君たちがアジアのどこの国の出身なのか理解したいと思っているよ。差別意識があって言っているのではないから、そんなに気にしないでくれ」
と説明してくれた。
今日あったばかりの私にたいして、一生懸命説明してくれたことが何より嬉しく、彼の言葉によってこの後のペルー旅が多少なりとも快適になったことは言うまでもない。
スペイン語が話せないので、
アブラス イングレス?と言って英語が話せる人に出会えた時の安心感はある。
一方で同じノンネイティブにもかかわらず英語で意思疎通が滞った時に、国際公用語としての英語をマスターしてない自分が情けなくなる。
日本への課題がひとつ増えた。
日本のことも英語や中国語でもっと紹介したいし、この交流で得られたものは大きかった。